こちらは、入社20年~30年のベテラン社員の座談会です。さて、どんな話が飛び出しますやら…?

※当ページの内容は、2015年の座談会時の内容となります。

座談会メンバープロフィール(司会:本社 人事総務部 宇井 良和)

中村 まゆみ
入社時期:1982年

本社 品質保証部
 

石塚 勝
入社時期:1985年

本社 監査部
 

大野 雅好
入社時期:1985年

機器製造カンパニー
品質管理室

清水 裕久
入社時期:1986年

整備カンパニー
部品整備工場

名取 洋司
入社時期:1988年

整備カンパニー
営業部

齋藤 久恵
入社時期:1993年

内装品カンパニー 技術第三部
技術管理グループ

簡野 泰介
入社時期:1995年

機器製造カンパニー
生産革新推進室

吉川 利昭
入社時期:1995年

機器製造カンパニー
機器製造工場 製造二課

※編集部注:内装品カンパニー(KcoまたはK)機器製造カンパニー(JcoまたはJ)

整備カンパニー(AcoまたはA)

ジャムコと私

司会

それでは自己紹介をお願いします。
 

石塚 石塚です。品質管理畑を長く歩んできました。今は監査部所属です。業務監査は勝手が少し違うので戸惑うこともあります。
 
簡野 簡野です。現場を経て生産革新推進室におります。
過去を振り返るということも無かったので、こういう機会を作っていただけて良かったです。
 
齋藤 齋藤です。入社以来、立川に配属後ずっと立川勤務です。
名取

Aco(以下A)の営業の名取です。ずっと整備の現場にいまして一生の仕事と思っていましたが、今は営業の事業開発グループです。

 

⼤野

大野です。中途採用です。内装品に10 年おり、Jco(以下J)に来て20 年になります。

 

吉川

吉川と申します。アルミの溶接板金をしております。娘三人を育てています。

中村

中村です。立川の内装品の技術部から品質管理室へ移り、昨年本社に異動となっております。

 

清水

成田の清水です。主に大型機と回転翼の装備品の整備・修理を行なう現場を担当しております。

昔のイベントには勢いと団結力があった!?

司会

それでは昔話ということで当時のレクリエーションのお話しはいかがでしょうか?
 

石塚 昔はハンガーの南エプロンのところでバレーボールをやっていたね。
 
名取

今でもネットを張るポールの穴は残っているんじゃないかな。短い休み時間を削ってトーナメント戦をやってたね。青婦協(※労組の下部組織で青年婦人協議会の略)もあったね。最初「せいふきょう」ってなんの宗教団体かと思った。20 代の頃はダンスパーティやボウリング大会を主催していたね。

 

⼤野

J ではいつだったか、浅草一泊旅行というのがあって都内に一泊って、なんか面白かったな。

 

清⽔

成田は3 勤2 休(日勤/ 遅番/夜勤/ 明け/OFF)というシフトがあって、夏には海辺のキャンプ場のバンガローを借り切って、オフの人が直行して交代で使ったということがありましたね。「火を絶やさず」という感じで。

 

名取

社員旅行については昔から賛否両論あったけど、行けば楽しかったし、今は何もないので少しさびしいかな。J は昔から団結していてBBQ なんか良くやっていた気がする。

 

⽯塚

J は単一工場で当時は100 人そこそこで、何やるにもまとまり易いところがあったね。A は拠点が分散しているからまとまるには不利だよね。

 

名取 拠点毎にはレクリエーションをやっていたと思いますよ。
 
司会

Kco(以下K)では47 号棟の屋上で納涼祭を市の花火大会に合わせてやっていました。

 

吉川

J の現場では今でも積立てして旅行に行っていますが、有志なので参加者が少なくてバスがガラガラです。

石塚

入ったときは内装品の技術もまだ調布工場にいたので、ドラフター(製図機)がズラッとならんでいて、建物は古くてボロで、歩くとギシギシ言って。あと、びっくりしたのは朝礼の話に横文字が入ってくるところ。「今日はCAB(※1)の立会いがあってFAI(※2)だから」とか。メモ取りながらとんでもないところに来ちゃったなと。

(※ 1:CAB〈CIVIL AVIATION BUREAU〉本邦の航空局、※ 2:FAI〈FIRST ARTICLE INSPECTION〉初回品検査)

⼤野

自分も最初面接を受けに来たときに、今J の工場になっているところに本社部門がいて、木の階段を上って二階に行くと人事部があって。で、階段の横に交換室みたいなのがあって。

 

吉川 交換室って何ですか?
 
⼤野 交換室の代表に電話が掛かってきて、それを交換手が各部署につなぐという仕事。今ダイヤルインだけど。
 
石塚

あと、入ったすぐ後に御巣鷹山の事故があって、JAL は大株主で取引先でもあったし、関係が深かったので他人事に思えない事故だった。

清水

私は当時CM(調布整備)にいて、隣の航研(現JAXA)に応援に呼ばれ、言われるままに行ったところ、今からNHK が取材に来るので、事故機の垂直尾翼のフロントスパーを並び替えてくださいって。そこはバラバラになった機体部品の残骸の山でした。

 

一同 …。(事故の記憶を尊い教訓と胸に刻みました)
 
大野

駐車場が大変だったこと覚えてない?守衛所前にあったときの。詰め込むだけ突っ込んで最後にフタするやつがいて。帰りになるとアナウンスで「大至急移動せよ」と。

石塚

古くて幽霊が出そうな管制塔のような建物もあったね。今からは想像もつかないね。
 

大野

景色も今と全然違って、滑走路の向う側は「関東村」の廃墟で荒廃していたね。

 

石塚

簡野さん達の‘95 年って少ないよね。確かJ だけが6 人ほど採用したんじゃなかったかな。

 

簡野

そうですね。バブル崩壊そして第二次ベビーブームと重なり就職氷河期でしたから。私は航空整備士になりたくて航空の専門学校に入ったのですが、本当に大変でした。吉川さんも同じ学校ですよね。

 

名取 私も同じ学校卒ですよ。多いよねウチは。
 
司会 同じ学校の先輩後輩といえば、中村さんと齋藤さんも同じですよね?
 
齋藤

そうなんです。今皆さんの話をお聞きしてて立川と全然違うと思いました。本社は調布飛行場に隣接しているので、飛行機が近くにある環境がうらやましいなと。中村さんは最初はこちらだったんですよね?

 

中村

そう、私は‘82 年入社なんです。今思い出すと、入社試験では当時の社名の「新日本航空整備」を英語で書けという問題があって、回答用紙の一番下に“NEW JAPAN AIRCRAFT

MAINTENANCE CO.LTD” って印刷してあるから、ひっかけ問題なのかな~?って悩んだんですよ。

 

名取 ʻ88 年当時、ラバトリーがもの凄く忙しくて、人もどんどん採っていたね。
 
石塚

人が増え過ぎちゃって食堂が捌ききれなくて、休憩に20 分くらい時差を付けたときがあったね。

美しい作品(製品)作りに込めた情熱

司会

入社当時の話に花が咲いていますが、皆さんの今を振り返ってみて、いかがですか?

名取

Aの話をすると、国内相手に仕事をしてきたわけですが、今は海外の整備会社に仕事を持っていかれている状況があって。Kは海外を相手にしてこれだけ伸びてきているので、Aも海外に目を向けていく必要があると思っています。

 

簡野

Jでいうと、昔は今よりモノ作りに時間的なゆとりがあったなと。利益率の高い製品がそれなりに毎年あり、今ほど工数を意識した作業でなく、じっくり最高のモノを競い合って作っていたと思います。民間の仕事が増えて、短納期で高品質は当り前になり売値も厳しくなり、そんな余裕はどんどん減ったように思います。確かに過剰品質は必要なく、良品条件を満たすことが大切だけど、今の若い人には「誰よりも美しい製品を超えた作品」を作るという匠の部分が減っているのも少し考える必要があるのかなと思います。

 

名取

整備も、仕上がりに関してまったく同じ感覚で、作品でしたね。やっぱり見た目が綺麗なものというのはしっかりできているんですよ。

清水

余裕がないというのは問題だと思いますね。それは無駄ではなくて、何かを発想するにはむ
しろ必要なことだと思いますね。
 

石塚 Jで一皮剥けなくちゃいけないなと思うのは⾃社設計をしていけるようなところだと思いますよ。

情報を共有し、JAMCOブランドを世界へ

司会

今のグローバル展開している状況こそ60年目を迎えたジャムコの姿だと思うのですが、いかかですか?
 

大野 JではMDを展開していますが、話を聞いていると各カンパニーの子会社の形態というのは微妙に違うね。だからノウハウ的なものは全部で共用できればいいのにと思います。
中村

たとえ子会社だろうと、品質的にはJAMCO ブランドで出て行くのでひとつと考えています。お互いがちゃんと情報を共有できて同じ基準でモノが作れて行ければ良いのでしょうけど。強い所、弱い所があるのでそこを上手く有効に使えていければいいですね。TV 会議も利用できるようになって、コミュニケーションは昔に比べると進化しましたね。

大野

何十年も培ったものがあるから、すぐに融合できるというわけにはいかないでしょうね。
 

司会

仕事の内容自体が違うのでそこを一緒にする必要はないのでしょう。お互いの良い所を少しずつシェアしながら、企業としての方向性は共有していくとか。K ではJ に機械加工の仕事をお願いするなどの動きもありますよね。

 

簡野

シートの機械加工部品の外注費を抑えたいので、Jで見積りを作ってくださいという依頼を受けまして。手離れできる形で実際に加工もして、Kの既存の外注さんの価格より20〜30%安く見積もることができました。結果はJの見積りにより外注さんがさらにコストダウンに協力することでまとまりました。当社として外注費抑制となり本当に良かったのですが、今回の加工テストで問題点が残っていて、技術向上のためにJとしては最後までチャレンジしたかったです。

 

司会

それは残念な話でしたね。仕事を社外へ出すよりジャムコ内で廻した方が、お金が出ていかなくていいというメリットがありますし。次の機会に期待したいです。

 

簡野

コストだけでなく、なによりノウハウを社内に蓄積できるというメリットは大切にしたいですね。ウチは技術が命ですから。またチャンスがあれば、是非トライしたいですね。Jの人は、モノ作りが好きなので…。

 

石塚

正にその通りで、Kで弱い所は子部品の製作をほとんど全部外部に出してしまったため、AOGなどの特急対応が出たときに即応できにくい点だろうね。Jの改善能力の高さを活かさないのはもったいないですよね。

 

司会

KとAとのコラボもカスタマーサポートの面で進みつつありますよね。

 

清水

ラバトリーの改修などで海外出張に行かせてもらっています。顧客からのサポート依頼があると「即出動!」というケースもあります。

 

齋藤 お話を聞いていて、将来に向けて各カンパニーとのコラボレーションを進めていければ可能性は広がるなと感じました。
 
簡野

One JAMCOの話としては、お互い知らなかったことが多過ぎて、知っていればもっと早く相談していたのにという所がありますよね。一緒に何ができるのかということをもっと皆で考えられる場があればいいと思います。また、Kのシートビジネスがもし傾いたら全社に相当な影響が出るので、Jの特色を活かしてサポートできる部分があれば、積極的に取り組むべきと思っています。一方各カンパニーともに歴史も実績もあるので、そこはプライドを持ってそれぞれビジネスを広げていく必要があるとも思います。

 

清水

同じジャムコでも3カンパニーはそれぞれ凄い特色があって、その違いを生かさない手はないなと感じます。大型機や小型機整備の経験から言えることもありますし。One JAMCOというのは活用の仕方によっては大きな可能性があると思います。第三者からみればジャムコはひとつなのですから。この座談会みたいな交流の機会がもっとあってもいいと思います。

 

名取

One JAMCOということは理解できますが、個人的にはAを何とかしていきたいですね。Kとこれだけ差があるとはっきり言って悔しい。事業継続、拡大できるのかという危機感もありますし。

 

大野

実は危惧しているところがあって、モノ作りに弱くなっているという気がするのです。というのはサプライチェーンが広がっていけばいくほど依存度が高くなり、現場はまだしも、エンジニア側の経験値がちょっと足りないのかなと。

中村

社長のお話にありましたが、Aが長男でJ が二男、Kが三男という本当にそういう側面ってあるなと最近思うんですね。3カンパニーが競いながら、お互いの良い所を伸ばして、協力し合っていければいいと思います。

石塚

実感として、3カンパニーの垣根は低くなってきていると感じます。先の簡野さんの所にKから来た話も今まではなかったろうし。カンパニー制を敷いたころは売上比は5:3:2くらいだったかと思うけど、今は8:1.2:0.8くらいの感じになってしまっている。やはり全ジャムコで8を支えていくことは必要で、Jの改善能力と、Aの応用力を製造に活かせればと思います。航空機産業を展望すると、今後30年の間に2倍になると予想されているので、ジャムコがやれることはまだまだ多いと思います。

 

司会 お疲れ様です。中身の濃いお話をどうもありがとうございました。